「美学vs.実利」を買った

美学vs.実利 「チーム久夛良木」対任天堂の総力戦15年史 (講談社BIZ): 西田 宗千佳を本屋で買った。「おもてなしの経営学」という本のついでに。

最近ブログ界隈で”なぜソニーがipodを作れなったのか”が話題になっていて、その発端となっているのが「おもてなしの経営学」。この話については「おもてなし」を読み終わってから議論しよう。

「美学vs.実利」という本は初代プレイステーションを作るきっかけから話が始まる。対任天堂と書いてあるが、”久多良木氏のプレイステーションにまつわる伝記”と捉えるほうが正しい。

しかも、ソニーと任天堂との関係は単なる「開発協力」にとどまらなかった。むしろ当時、両社は相思相愛と言えるほどの間柄であった。スーパーファミコンで音声出力を担うLSIは、久夛良木が開発し、任天堂に直接売り込みをかけて採用された商品であり、ソニーのチップなしにはスーパーファミコンは生産できなかった。

この文脈があるからこそ、過去に久多良木さんを懐古するで引用した久多良木氏の言、

もっとも驚いたのは、ファミコンをやってるときに、サウンドトラックが4本しかありませんと、音のディレイもありませんと、それで音楽を表現しないといけないと。そんなもんで音楽なんてやれませんよね。ところが、その狭い世界でもある種の“美学”があってね、こうやればこう鳴りますと。それも確かに音楽だよね。それをぼくは否定しないんだけども、だけど一般の人、普通の人はそれで感動するかというと、ぼくは感動しないと思う。

が意味を持つのだな、と。自分で使ったものを自分で否定しているだけの話だった。

「じゃあ、ダメだという理由を順に挙げていってもらえますか」
久夛良木は、ホワイトボードを前に向き直る。
エンジニアたちの目つきが変わった。
一つずつ、懸案を出し合っていくうちに、「ここをこうすれば、ある程度可能性が出てくるのでは」というアイディアが出始めたからだ。

この考え方は母校の影響を多大に受けている。と思う。自分でもよく、この思考をやる。

この思考を行うのは難しい。周りに否定してくれる人が多く存在する場合にしか出来ない。むしろ、周りに出来ると言う人間ばかりであるならば環境に恵まれすぎている。のではなく、その考えは革新的ではない、またはまともに考えてくれていない、と考えた方が良さそうだ。周りにブレーキをかける人間が居て、その問題、わだかまりを1つずつクリアしていって、可能にしていくことで、革新的なものが出来る。

もし、突っ走るタイプのバカが居る場合は、まず、それは不可能である理由を10個程度、投げつける。そこで、転ぶ程度であれば、それはやはり不可能なのだ。その問題をクリアして出来ると豪語するのであれば、それは出来てしまうかもしれない。

そんな魔力を久夛良木氏は持っていたのかもしれない。

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