記事のタイトルは複数存在して投稿可だと面白いかもしれない

wikiなどのコンテンツを誰でも編集できるシステムは、意欲ある人が集まれば、1つの内容が良くなっていく感覚がある。そういったこの力を超えた客観的な力を活用するとよりよい内容が作成され、人が誤解なく分かり合えるようになり、人の苦労が削減され、世のためになる。

ところで、コンテンツを閲覧しようとする流れの中で重要なのはタイトルだ。タイトルに釣られる。RSSリーダー、ソーシャルブックマーク、twitter…などのリンクでは基本的にタイトルが引用され、そのタイトルの魅力によって誘引力が決まる。twitterの場合などは感想と一緒に付されることが多いが。

釣りタイトルという存在そのものが、タイトルの効果を証明している。

この話の本旨だが、最近、このタイトルについて、複数の存在を認めてもよいのではないか、と思っている。複数の存在を認めるのはどういうことか。それは他者からの投稿を受け付けるということだ。

1つの良質な記事があるとして、その記事のタイトルが残念なことがある。例えば、記事の内容はしっかり書かれているが、タイトルにはその努力が反映されていないことがある。その場合、他者から見て、その記事の魅力となる箇所を強調したタイトルをその記事に投稿することで、より見つかりやすくなるのではないか。ということだ。よく、タイトルと内容が一致しない問題が存在するが、そのような問題も解決されていくだろう。

他者との連携(ソーシャル)において、記事内容、タグ付けという文化は進んだが、タイトル付けについてはまだ行われていない。

この複数のタイトル付けを認める方法として、いくつかある。ソーシャルブックマークサービスのように、勝手に外のサイトで記事の別タイトルを定義し、紹介すること。もう1つが記事そのものが投稿を受け付けることである。前者の方式の流れは、例えばNAVERまとめのようなサービスに収斂されていくのかもしれないが、問題は別のタイトルを付けるという様式に特化されていないことだ。後者は、記事の執筆者が投稿されたタイトルに対して承認という形でコントロールが可能であり、気に入らないタイトルを返上することが出来る。

記事タイトルに対して、複数のラインがあっても良い。扇情的なタイトルのラインがあってもいいし、控えめなタイトルのラインが合っても良い。その人が望ましいと思うタイトルの趣向を拾えると良い。複数のタイトルが存在した場合、人ごとにタイトルをランダムに見せ、反応が良いタイトルを探る、という形もあるだろう。タイトルは万人に1つのものではなく、対象によって変化しても良いはずだ。

後、ブログ内の静的ページはgithubで管理されてリビジョンが見えるような世の中だといい、という風な話も妄想しているが、いまいちブログに興味が戻ってこないので、割とどうでもいい。

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