他人に迷惑をかけるなについて

こうした場で意見を言うのは、自分の愚かさとか底の浅さをさらす。だが、何も言わないよりかは、考えはまとまるし、別の意見を求められるので、いいと考えている。ある種、自己とつながっているようで、切り離されている空間なのだから、極端なことを書いてもいいのかもしれない。

怖いのは、自分で書いておいて、ブレること。行動が伴わないこと。忘れること。そんなときは「朝令暮改」とか「昨日の自分は別の自分」といって逃げるしかない。

今回は「他人に迷惑をかけるな」について。


「他人に迷惑をかけるな」という主張をする人は多い。ベネッセの調査結果でもそういう結果が出ているようだ。

この言葉はマナー議論に良く出てくるが、人によっては受け取り方が違う言葉だと感じている。

この言葉が気質を”引っ込み思案”にさせたと思う。その理由は人が集まる場所で自分の意見を述べる人が少なかったり、自らリーダーシップをとって動く人間が少ないからだ。そういったスタンドプレーに傾く人間を良く思わない人もいるが、それは自分の意に沿わないからか、自分がリーダーシップをとりたかった嫉妬からくるものからか、単に鬱陶しいかのどれかだ。

こうしたリーダーシップをとることで、少なからず何らかの場面で失敗することを知っている。失敗すると迷惑がかかる。気質のコアは「迷惑をかけないこと」なので、消極的になる。結果、”責任は選んだお前らにあるんだからな”という状況になるまで、出てこない。

そうした流れの中で問題視されたのが自己責任問題だと汲んでいる。

話をさえぎる質問に対してもそうだ。話をさえぎることで、集中を切られる。質問が長引くことで拘束時間が延びる。くだらない質問は腹が立つし、理解の浅はかさと愚かさをさらけ出していて醜い。そういう意識があるからこそ、質問はしない。

“自分が質問すると、他の誰かに迷惑がかかる”ことを他人の質問を見て知っている。

さらに「他人が迷惑でなければ、何をしてもいい」という結論に達するし、そう言い聞かせている場合も多いはず(実際に言われたことがある)。確かにそれはそうだが、何か飲み込めない部分がある。単純に「他人が迷惑ならば、何もしてもいけない」ということだからか。やって良いことと悪いことの判断がし難い。自分の中では”相手に迷惑だと思っていた行為”が別に相手には迷惑じゃなかったり、”迷惑をかけた覚えのない行為”が迷惑をかけていたりする。

以前なら迷惑閾値は”怒られるまでやる”ことだった。その場では怒らないで、裏でうっぷん吐き捨ててる場合も多いことに最近気がついた。これも「他人に迷惑をかけない」の延長だろうか。実は自分は相手が怒るまで他人をからかう主義(走って追いかけてくるまでからかう)だったが、最近はからかうことをしなくなってしまった。どんな心変わりだろうか。

自分だったら迷惑論に対しては、「他人に迷惑をかけていることを自覚するだけでいい」と思っている。他人に迷惑をかけることは時と場合による。それが自分と相手に結果的に利益をもたらすと信じるのであれば迷惑をかけてもいい。相手に利益をもたらさないのであれば控えるべき。迷惑をかけるのであれば可能であれば説明をすること。筋にこだわる人、結構いるんで。

「他人に迷惑をかけるな」と言われて教育された現在の心境だ。

で、結局は、迷惑かけまくり。返信メールくらいは返すようにせんと。

で、なんでこんなことを考えたかというと、
痛いニュース(ノ∀`):“電車の中は「無法地帯」” 自己中人間増加?で、「キレる」乗客のケンカ横行を見たから。

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